【山形県 米沢偏】毘沙門の弔い「上杉神社」



【山形県 米沢偏】毘沙門の弔い「上杉神社」

米沢と謙信

米沢と謙信 謙信が生まれた地は新潟県上越市である。しかし、山形県米沢にも謙信とゆかりの深い場所がいくつか存在する。
存命中(生きている頃)は春日山城を拠点として越後を統一していた謙信であるが、春日山で病死(脳溢血)すると、後の米沢藩主になる上杉景勝が徳川家康より米沢への転封を命じられるのである。転封とは、領地を他の地へ移すことであるが、これによって寺や遺品、謙信の遺骨などが移されたことから縁の深い場所となっている。

謙信と上杉神社

謙信と上杉神社 上杉謙信は、1578年3月13日、越後春日山城にて49歳でこの世を去る。葬儀は同年3月15日に大乗寺の良海を導師とし、荘厳を極めた。(堂々たるものだった)遺骸には甲冑をまとわせ、瓶(かめ)に納めて密封される。
1598年に上杉景勝が会津(福島県西部)に移封(領地を移す)されると、謙信の遺骸も移された。景勝が会津若松城内に御堂を造って保管するのである。
1601年に景勝が徳川家康より米沢に転封を命じられると、遺骸を米沢城に移し御堂に納めたのである。後に1612年、祠堂を増設し、中央には謙信の遺骨、左に善光寺如来尊、右に毘沙門天を安置するのである。
1871年(明治4年)には祠堂を改装し、上杉謙信、上杉鷹山を祀り、上杉神社と改名し神祭を行ったのである。その後1876年(明治9年)5月21日、謙信の遺骨を御廟山へと移葬するのである。

国の指定史跡「上杉家御廟所」

国の指定史跡「上杉家御廟所」 1876年(明治9年)5月21日、謙信の遺骨を移葬された場所である。謙信に限らず、上杉景勝が死去した後、米沢藩主代々の墓所ともなった場所である。
御廟所は、中央正面に謙信の祠堂(霊を祀る場所)があり、その向かって左側から謙信の後継者である2代目「上杉景勝」、4代目「綱勝」、6代目「吉憲」、8代目「宗房」、10代目「治憲」、12代目「斉定」と並び、中央より向かって右側には、3代目「定勝」、5代目「綱憲」、7代目「宗憲」、9代目「重定」、11代目「治広」の祠堂が並んでいる。
歴代藩主の廟所が置かれているのは全国でも珍しく、1984年(昭和59年)に国の指定史跡として登録された。

上杉神社(米沢城跡)
住所:山形県米沢市丸の内1-4-13
お問合せ先:0238-22-3189(史跡案内係まで)
[見どころ]上杉謙信像・上杉謙信祠堂跡・稽照殿

上杉家御廟所
住所:山形県米沢市御廟1-5-30
お問合せ先:0238-23-3115(御廟所案内係まで)
[見どころ]米沢藩主歴代の祠堂

伝国の杜 上杉博物館
伝国の杜 上杉博物館
住所:山形県米沢市丸の内1-2-1
お問合せ先:0238-26-8001(博物館案内係まで)
[見どころ]織田信長が謙信に贈ったと言われる「上杉本洛中洛外図屏風」が展示されている。国宝に指定されている。

上杉家に忠義を尽くした男「直江兼続」

上杉家に忠義を尽くした男「直江兼続」 米沢市は上杉家にゆかりの深い人物、「直江兼続」にも縁がある場所だ。1560年に越後にて生を授かり、幼少期には後に上杉の家督を継ぐこととなる景勝と共に雲洞庵で学び、高い教養を身につけた。
「愛」の印がトレードマークの直江兼続。上杉家の危機を幾度となく支えた影の功労者でもある。幼い頃から謙信に可愛がられており、「愛」と「仁義」の精神を受け継いだ男でもある。
謙信がこの世を去ると1580年、後継問題で景勝が窮地に立たされる。そこで兼続は機転を効かせ、上杉家とは長年のライバルであった武田家と同盟を結び景勝を勝利へと導いた。時を同じくして兼続は上杉家の家臣となった。
織田信長の死後、景勝は豊臣秀吉の家臣となり五代老として優遇された。その際に秀吉が兼続を武将として引き抜こうとしたが兼続は、「上杉こそ我が主君である」と、誘いを断っている。
前田利益や石田三成との親交が深く、強い友情関係で結ばれていたことでも有名な人物である。

上杉魂、家康への直江状

上杉魂、家康への直江状 秀吉の死後、徳川家康が天下取りへと動き出す。その頃、兼続は築城や道の整備に励んでいた。それを聞きつけた家康は、その行為に難癖を付け上杉家が裏切りを企んでいると疑いをかけるのである。
その内容が詰問状として上杉家に送りつけられると、兼続は、「やれるもんならやってみろ」と言わんばかりの挑発的な内容を記した「直江状」を返信する。
これに激怒した家康は上杉討伐に出陣するのだが、この時を待っていたかのように石田三成が動き出す。家康は上杉軍が待つ会津ではなく三成が陣を構える関ヶ原へと向かった。1600年9月の関ヶ原の戦いである。
結果的に関ヶ原の合戦へと繋がるきっかけを作ってしまった兼続だが、西軍(三成)が大敗すると景勝、兼続の両者共に家康へ謝罪をし領地を没収されることでこの度の件は許された。
その後、大坂の陣には夏、冬と徳川軍として2回出陣している。1619年に病を患いこの世を去った。

■上杉神社
上杉神社
上杉神社(米沢城跡)
住所:山形県米沢市丸の内1-4-13
お問合せ先:0238-22-3189(史跡案内係まで)
[見どころ]「愛」の印がトレードマークの兼続愛用の兜が保管されている。

松岬神社
松岬神社
住所:山形県米沢市丸の内1-1-47
お問合せ先:0238-22-3189(社務室まで)
[見どころ]上杉家の功労者を祀る神社。兼続の他、9代目米沢藩主の上杉鷹山など、6人の功労者を祀っている。

■春日山 林泉寺
春日山 林泉寺
住所:山形県米沢市林泉寺1-2-3
お問合せ先:0238-23-0601(案内係まで)
[見どころ]兼続夫妻の墓所がある。また、景勝の妻である菊姫の墓所でもある。

■法泉寺
法泉寺
住所:山形県米沢市城西2-1-4
お問合せ先:0238-21-6226(物産協会まで)
[見どころ]景勝と兼続が創建した寺である。藩士の教育を目的として造られた学問所である。京都天竜寺の庭園を真似て造られた庭は、米沢三大名園に指定されている。

■直江石堤
直江石堤
住所:山形県米沢市直江石堤地内
お問合せ先:0238-21-6226(物産協会まで)
[見どころ]米沢城下を洪水の被害から守るため、兼続の指揮のもと最上川(松川)の上流に築いた石積みの堤防である。

■開湯1300年 宗川温泉
開湯1300年 宗川温泉
住所:山形県米沢市板谷498
お問合せ先:0238-34-2511(案内係まで)
[見どころ]兼続の子供が病を治したと言われる温泉で、上杉家の守り湯として重宝された温泉である。