【岐阜 大宮偏】金華山「岐阜公園」信長が眺めた景色


【岐阜 大宮偏】金華山「岐阜公園」信長が眺めた景色

金華の山頂「岐阜城」

金華の山頂「岐阜城」 金華山(岐阜市)の山頂に静かに佇む「岐阜城」。
1201年に二階堂行政により築かれた城である。険しい岩山の上にそびえる岐阜城は、難攻不落の城としても有名でありその頑丈さから、『美濃を制する者は天下を制する』と一目置かれるほどの城であった。戦国期には斎藤道三が住まいとしていたことでも有名な城である。
その後、1567年に織田信長が「稲葉山城の戦い」に勝利し、岐阜城の城主となった。

「岐阜」と名付ける

1567年、斎藤龍興と激闘を繰り広げ「稲葉山城の戦い」で勝利を収めた信長は、「稲葉山城」を「岐阜城」へと改名した。それに合わせて改名したものが、「岐阜」の地名である。それまで岐阜は「井の口」と呼ばれていた。岐阜という地名の名付け親は織田信長ということになる。
それ以降、岐阜の城下町は経済的にも安定し、大変な賑わいを見せたという。信長が城下町の経済と繁栄に力を入れるために政策した「楽市楽座」の影響によるものである。

城下町と楽市楽座

城下町と楽市楽座 「楽市楽座」とは例えるなら、今まで商売をしてきた業者たちの独占権や組合(組織)を無くし、誰でも自由な商売や取引ができるように市場を改革した策である。その他にも取引をする際にはそれまで必要だった市場税(税金)の制度を無くし、商売をしやすくさせた。
この政策によって市場は活性し、流通がスムーズになったという。城下町の暮らしも次第に豊かになっていくのである。
その後、近江国(現在の滋賀県)の安土と金森でも楽市楽座を実施した。また、岐阜と滋賀だけに留まらず、各城下町でも楽市楽座を実施し、経済政策に力を入れるのであった。

「信長の庭」、そして天下布武

「信長の庭」、そして天下布武 信長が「天下布武」の印章を掲げたのが金華山山頂に位置する「岐阜城」である。安土城へと住まいを移動するまでの間、金華山を住まいとし天下取りの野心を日々ふくらませていたそんな信長の風貌を象徴するかのような庭が金華山には存在する。岐阜公園内にある「信長の庭」である。
【剛】【静】【雅】の3つのコンセプトで造られている滝と池、そして穏やかさの中にも力強さを強調させた庭園とが重なり合わさって出来た神秘的な雰囲気が漂う庭である。
庭のそばにある椅子に腰掛けて景色を眺めていると、信長の鼓動が静かに聞こえてきそうな・・・、そんな気がする。
ここで天下布武を志ざし、天下統一を夢見ていたと想うと、なんとも言い難い空気に包まれていく。信長が眺めていた景色が、ここ金華山には確かに存在していた。

岐阜城
住所:岐阜県岐阜市金華山天守閣18
お問合せ先:058-263-4853(岐阜公園 岐阜城案内課まで)

岐阜公園
住所:岐阜県岐阜市大宮町1-46
お問合せ先:058-264-4865(岐阜公園 岐阜公園案内課まで)
[主な見どころ]
・冠木門
織田信長居館跡への入口である。歴史を感じさせる文化遺産である。
・織田信長居館跡
信長が住まいとしていた居住跡が見物できる。
・信長の庭
【剛】【静】【雅】の3つのコンセプトで造られた滝と池、それに合わせ、穏やかさと力強さを強調させた庭園とが重なり合った神秘的な雰囲気が漂う庭である。
・三重塔
大正天皇御大典の記念事業として大正5年に建立されたものである。
・板垣退助像
明治15年4月6日自由党の総理であった板垣退助は、当時この地で演説をした後、命を狙われることとなる。襲われはしたものの幸い傷は浅く、生命の危機にまでは至らなかったが、「板垣死すとも自由は死せず」という有名な言葉を残すきっかけとなった場所でもある。
・岐阜市歴史博物館
斎藤道三、織田信長をはじめとする歴史が詰まった館である。

せっかく金華山に行くのなら・・・

せっかく金華山に行くのなら・・・ その昔、金華山は稲葉山と呼ばれていた。山頂には岐阜城がそびえ立ち、戦国時代には歴史の表舞台にたびたび登場した山である。
金華山を訪れたなら、近くの名所も案内しておきたい。時間の許す限り、歴史を味わうに価値ある情報となれば幸いである。
信長とゆかりの深い場所は金華山の他にも岐阜には点在している。

■金華山に生息する植物
・ツブラジイ
5月上旬に黄色い花を咲かせ、山全体が黄金色に見えたことから「金華山」と名付けられたとも言われている。
・ヒトツバ
単葉が特徴的なシダ科の植物である。松尾芭蕉の俳句に「夏きてもただひとつばの一葉哉」として登場している。

金華山ロープウェイ
せっかく金華山に行くのなら・・・ 住所:岐阜県岐阜市千畳敷下257(電話:058-262-6784)
・岐阜公園と金華山の山頂を結ぶロープウェイである。頂上には「リス村」やレストランなどがあり、夜景や景色を楽しむ人々に重宝されている。夏にはビアガーデンも開催されている。
※リス村(山頂)営業時間9:30〜16:30 年中無休 入場料200円
※ロープウェイ 大人(中学生以上)往復1,050円 片道600円・子供(4歳以上12歳未満)往復520円 片道280円

■長良川
住所:岐阜県岐阜市三田洞211(電話:058-237-6677  ふれあいの森センター)
名水100選に認定されている岐阜県を代表する河川である。

上から見下ろす「血天井」

上から見下ろす「血天井」 信長が斎藤道三の孫である斎藤龍興を亡ぼし1567年に岐阜城を居城とすると、崇福寺は斎藤氏の魂を弔う場所とし、信長が保護した寺である。
その後、本能寺の変で信長と息子の信忠が明智光秀に討たれると、信長の側室であったお鍋の方がその遺品を寺内に埋め位牌を安置させたのである。これが寺の敷地内に位置する「織田信長父子廟」にあたる。
本堂に「血天井」がある。これは、信長の孫である織田秀信が1600年に起きた関ヶ原の戦いで西軍の石田三成を加勢したため、岐阜城が落城することとなるのだが、その時に戦死した将兵たちの魂を弔うため岐阜城の床板をはがし、そのまま天井に張り付けたとされている。今でもその時の血は床板に付着したままである。

崇福寺(そうふくじ)
住所:岐阜県岐阜市長良福光2403-1
お問合せ先::058-231-2613(案内係まで)

織田家に縁の深い史跡

■道三塚
住所:岐阜県岐阜市長良福光(電話:058-265-4141)
■大龍寺
住所:岐阜県岐阜市粟野2339(電話:058-237-3837)
■円徳寺
住所:岐阜県岐阜市神田町6丁目24(電話:058-265-3575)
■岐阜善光寺
住所:岐阜県岐阜市伊奈波通1丁目8(電話:058-263-8320)
■後背山栄昌院
住所:岐阜県岐阜市佐野376(電話:058-238-8198)
■安養山 光得寺
住所:岐阜県羽島郡笠松町無動寺221(電話:058-262-4415)