前田利家【日本風景に酔いしれ加賀百万石 金沢物語】



前田利家【日本風景に酔いしれ加賀百万石 金沢物語】

能登の主「利家」と成る

能登の主「利家」と成る 荒子城主である前田利春の四男として1538年、尾張(愛知)荒子村にて生まれる。幼名は犬千代。13歳から織田信長に仕え、青年時代は赤母衣衆(織田軍の一部)として従軍し槍の名手であったため「槍の又左」の異名を持っていた。
若い頃の利家は短気で喧嘩早く、派手な格好を好む「傾奇者」であった。1574年からは柴田勝家の与力として北陸方面部隊に従軍し越前一向一揆の鎮圧に従事する。勝家の与力として各地を転戦するも信長や秀吉の合戦にも従軍し、織田家の直参的役割を果たしていた。また、四男でありながら信長の後押しを受けて前田家の家督を継ぐこととなる。
1581年、織田信長より能登一国(現在の能登半島)を与えられ七尾城主となり23万石を領有する戦国大名となると翌年、七尾城を廃城し七尾港を臨む小丸山を縄張りにして小丸山城を築城するのである。

生没:1538〜1599年(享年62才)
幼名:犬千代
尾張出身。信長、秀吉に仕え天下統一の事業に貢献する。
能登、加賀、越中を収め115万石の加賀藩初代当主となる。
豊臣政権では五大老の1人として家康に継ぐ実力者である。

加賀藩初代当主「前田利家」と成る

加賀藩初代当主「前田利家」と成る 1582年に信長がこの世を去ると翌年、勝家と秀吉が後継者争いをきっかけに「賤ヶ岳の戦い」へと発展していく。これに柴田軍として従軍することとなるのだが、最終的には秀吉に臣従することとなりその結果、能登に加え加賀(石川県南部)の領地を与えられ金沢城を居城とするのであった。
1584年の末森城の戦、1585年の越中攻めに従軍し功績を収めると越中(富山県)の3郡を与えられ32万石を拝領すると、前田利家は115万石を有する大名となり、加賀藩初代当主となった。
1590年に天下統一の総仕上げである小田原城攻めに従軍し、北条氏の八王子城、松井田城、鉢形城攻めなどで貢献を果たす。そして豊臣家の五代家老となった利家は、秀吉にとって最も信頼の厚い男となっていた。跡継ぎである秀頼の守り役を任されるのである。
しかし、1598年に秀吉が病死すると利家自身も病気を患ってしまう。

利家から利長へ

利家から利長へ(前田利長の画像) 関ヶ原の戦直前には石田三成に頼られ徳川家康反対勢力の筆頭となるが、豊臣家の将来のためには徳川家との決裂は好ましくないと考え、病身を押して伏見を訪問し家康に和解を申し込むのであった。秀吉の死から1年後、大坂の自邸で病死することとなる。享年60であった。
利家がこの世を去ってから家康は加賀征伐を企てる。利長は交戦する意思で城を増強すると、豊臣家へ救援を求めたがこれを拒否されたことから母である芳春院が人質になることを条件に加賀征伐は白紙に戻った。
後に上杉家が家康に反抗し、90万石を失った事件が勃発する。そう考えれば、前田家は先を見通す力があったと言える。しかし家康と唯一互角に渡り合える人望と器を持っていた利家の死は、豊臣家滅亡を裏付ける決定的な瞬間と言っても過言ではないかもしれない。

金沢を巡り加賀に酔いしれる

金沢城公園
金沢城公園
住所:石川県金沢市丸の内1-1
お問合せ先:076-234-3800(兼六園事務局まで)

115万石を有する戦国大名であり、加賀藩主前田家の居城であった金沢城跡を整備して作られた史跡公園である。
菱櫓、五十間長屋、橋爪門続櫓などは歴史的建造物が復元されており、金沢城の実質的な正門であった「河北門」も復元されている。また、多様な石垣で形成された城郭は全国でも例を見ない作りとなっている。

兼六園
兼六園
住所:石川県金沢市兼六町1
お問合せ先:076-234-3800(兼六園事務局まで)

偕楽園(水戸)、後楽園(岡山)と共に日本三名園の一つに数えられる前田家の回遊式庭園である。兼六園の由来は「宏大、幽邃、人力、蒼古、水泉、眺望」の六勝をよく兼ね備えた名園として白河楽翁松平定信が命名した。
現在の景園が完成したのは1837年、13代藩主の前田斉泰の手によってである。

尾山神社
尾山神社
住所:石川県金沢市尾山町11-1
お問合せ先:076-231-7210(社務室まで)

2代藩主利長が卯辰山八幡宮を造営し、卯辰山麓に利家を合祀したことにはじまる。現在の場所に移されたのは1873年のことである。神門は和(日本)漢(中国)洋(西洋)の文化を織り交ぜて造られた三層楼門で、国の重要文化財に指定されている。

■野田山墓地
野田山墓地
住所:石川県金沢市野田町
お問合せ先:076-220-2194(観光交流課まで)

1587年、利家の兄である利久を葬って以来、前田家一族の墓所となり利家も遺言通りここに葬られた。また、1600年には利家墓守の寺として桃雲寺が建立された。

桃雲寺
桃雲寺
住所:石川県金沢市野田町チ386
お問合せ先:076-241-2576(案内係まで)

加賀藩初代当主である利家の魂を弔う為に利長によって1600年に創建された寺である。また、野田山墓地の墓守としての役割もある。
利家とおまつの肖像画が保存されており、文化財に指定されている。

■宝円寺
宝円寺
住所:石川県金沢市宝町6-14
お問合せ先:076-231-6050(案内係まで)

利家が建立した前田家一族の魂を弔った寺である。利家の葬儀もここで行われた。
利家の自画像と頭髪を納めた御影堂、御髪堂がある。また、堂内には利家が寄進した仁王尊像が祀られている。

小丸山城
小丸山城
住所:石川県七尾市馬出町1-1
お問合せ先:076-220-2194(観光交流課まで)

1581年、能登一国を領有した利家は七尾城に代わり小丸山城を築いた。小丸山は七尾湾が一望でき、以後、能登支配の拠点地となった場所である。現在は小丸山公園となり市民の憩いの場として提供されている。

小京都「金沢」

小京都「金沢」 金沢といえば先にも述べた「兼六園」を代表して風情のある町並みが京都を連想させることから、「小京都」とも呼ばれている。
かつて金沢の中心都市であった香林坊からほど近くにある「長町武家屋敷跡」を散策すれば、土塀の続く町並みが時を過ぎても今なお残されていて石畳の小路を歩けばタイムスリップしたかのような雰囲気をかもし出してくれる。
その他にも「西茶屋街」、「東茶屋街」、「近江市場」は金沢を代表する観光スポットとして根強く栄えている。
また、日本海で水揚げされる魚介類は新鮮で、「加能蟹」や「甘エビ」などは一級品である。グルメに合わせて石川の温泉を満喫できれば、旅の思い出として至福の時を約束してくれること間違いなしである。