【家康マップ】いざ、徳川伝説の幕開けじゃ(前編)



【家康マップ】いざ、徳川伝説の幕開けじゃ(前編)

天下人の序章

天下人の序章 桶狭間の戦いに始まり信長との清須同盟、姉川、三方ヶ原、長篠での戦いで織田方に仕えると本能寺の変にて伊賀越えを果たし、1584年に従三位参議に成ると天下取りに名乗りを上げた秀吉と小牧、長久手にて戦うこととなる。その後、秀吉と和平を交わした家康は、臣従(仕えて従う)することとなる。
1598年、秀吉がこの世を去ると天地を揺るがす大事件が起きる。天下分け目の大合戦、「関ヶ原の戦い」である。
豊臣家の五代奉行筆頭であった石田三成と、五代家老の筆頭である徳川家康との間に起きた内輪揉めが原因であったが、この戦いが歴史を大きく変えることとなる。
1600年9月15日、家康が率いる東軍と三成が率いる西軍が信濃関ヶ原に大集結し20万人が大激突する。

天が定めた天下人

天が定めた天下人 内紛から三成暗殺未遂へと、そして7時間にも及ぶ関ヶ原での激戦の末、家康率いる東軍が見事勝利を収める。
その後1603年に征夷大将軍を任命すると江戸に幕府を開き、以後270年、15代に渡り徳川の時代が続くこととなる。
2年後には駿府城へと隠居し秀忠に2代目を譲るが、大御所となってからも大坂の役(1614年・1615年)で豊臣家を滅ぼすと武家諸法度を制定し大名の行動を規制した。また、大名だけでなく天皇や公家には「禁中並公家諸法度」を制定した。神社や寺院に「寺院法度」、僧侶には「諸宗寺院法度」を設け厳しく取り締まった。
晩年を駿府城で過ごすと、1616年3月21日に大政大臣に任命されるが、同年4月17日に75歳でこの世を去った。

まずはじめに

「靜岡、愛知」の旅を1日で終わらせるには少し無理がある。そこで私からの提案なのだが、史跡や名所に備考(メモ)を添えさせていただくので、それを参考に自分なりのマップを作ってスケジュールすると、観光しやすくなるかもしれない。 後編の最後にサンプルをご用意してあるので、そちらも合わせて参考にしていただければ幸いである。

天下人の足跡を辿って[静岡県]

天下人の足跡を辿って[静岡県] 国人衆生まれの家康は戦国大名から征夷大将軍、大政大臣へと快挙を成し遂げた出世人である。死後に至っては東照大権現として崇められるまでとなる。
三河国に生まれた家康は幼少期のほとんどを駿府にて過ごすこととなる。また、江戸幕府を開くと、晩年を駿府にて過ごし、75年の生涯に幕を閉じた場所もここ静岡である。
駿府、久能山、浜松を巡って家康の足跡を辿ってみたいと思う。

[始点]
[始点]静岡
■清見寺(住所:静岡市清水区興津清見寺町418-1)
↓信玄が駿河侵攻の際、家康が焼き払った寺である。その後、家康が再建している。
■駿府城(住所:静岡県静岡市葵区駿府公園1-1)
駿府城(住所:静岡県静岡市葵区駿府公園1-1)
↓幼少期は人質として、幕府開国後は隠居の住まいとして使用した城である。
■臨済寺(住所:静岡県静岡市葵区大岩町7-1)
↓幼少期の家康に戦法や教育を施した太原雪斎が住職を務めた寺である。
■静岡浅間神社(住所:静岡県静岡市葵区宮ケ崎町102-1)
静岡浅間神社(住所:静岡県静岡市葵区宮ケ崎町102-1)
↓1555年、竹千代から松平次郎三郎元信へと元服した場所である。
■東雲神社(住所:静岡県静岡市葵区有東木776)
↓家康が祀られている。
■小梳神社(住所:静岡県静岡市葵区紺屋町7-13)
小梳神社(住所:静岡県静岡市葵区紺屋町7-13)
↓家康が隠居する際、駿府城の守護神を祀った場所である。
■清水寺(住所:静岡県静岡市葵区音羽町)
↓家康が再建し、天下泰平の祈祷を行った場所である。
■蓮永寺(住所:静岡県静岡市葵区沓谷2-7-1)
蓮永寺(住所:静岡県静岡市葵区沓谷2-7-1)
↓家康の位牌を安置し三回忌を営んだ寺である。
■久能山東照宮(住所:静岡県静岡市駿河区根古屋390)
↓死後、家康が埋葬された地である。後に日光東照宮へと移葬されることとなる。
■田中城跡(住所:静岡県藤枝市田中)
田中城跡(住所:静岡県藤枝市田中)
↓家康が落とした城。西上(京都へ行く)際の宿地として使用された。
■家康御陣場跡(住所:静岡県榛原郡吉田町大幡1193)
↓武田信玄との「小山城の戦い」で1578年に家康が陣を構えた場所である。
■能満寺(住所:静岡県榛原郡吉田町片岡2517-1)
能満寺(住所:静岡県榛原郡吉田町片岡2517-1)
↓安倍晴明が995年に中国から持ち帰って植えた「ソテツ(木)」が生えており、これを気に入った家康が駿府城へ一部を移植したという。裏山には「小山城」の跡地がある。
■久延寺(住所:静岡県掛川市佐夜鹿291)
↓関ヶ原の戦いに出陣する前、一豊が家康を接待した場所でもある。
■掛川城(住所:静岡県掛川市掛川1138-24)
掛川城(住所:静岡県掛川市掛川1138-24)
↓1569年 1月今川軍と激しい攻防戦を行った城。別名「雲霧城」である。
■横須賀城跡(住所:静岡県掛川市西大渕)
↓1574〜1581年、甲斐の武田勝頼(信玄の後継者)と戦った場所。
■清瀧寺(住所:静岡県浜松市天竜区二俣町二俣1405)
清瀧寺(住所:静岡県浜松市天竜区二俣町二俣1405)
↓家康の嫡男(跡取り候補)である「岡崎三郎信康」の魂を弔った寺である。1579年9月15日、信康は二俣城にて自刃して 21歳の若さでこの世を去った。
■三方原古戦場(住所:浜松市北区根洗町784)
↓武田軍と「三方ヶ原の戦い」が行われた合戦地跡である。
■三方原神社(住所:静岡県浜松市北区三方原町561)
三方原神社(住所:静岡県浜松市北区三方原町561)
↓家康を祭神に祀った場所である。
■五社神社 諏訪神社(住所:静岡県浜松市中区利町302-5100-2 )
↓家康を祀った場所である。
■浜松城(住所:静岡県浜松市中区元城町100-2 )
浜松城(住所:静岡県浜松市中区元城町100-2)
↓信玄との戦に向けて1570年から拠点とした城である。
■宗源院(住所:静岡県浜松市中区蜆塚1-20-1)
↓三方ヶ原の戦いで家康の身代わりとなって没した成瀬藤蔵正義、旗手として討死した外山小作正重、遠藤右近などの墓がある。
■犀ヶ崖古戦場(住所:静岡県浜松市中区鹿谷町25-10)
犀ヶ崖古戦場(住所:静岡県浜松市中区鹿谷町25-10)
↓三方ヶ原の戦いの後、夜営していた武田軍に夜襲をかけた場所である。
■誕生井戸(住所:静岡県浜松市中区常盤町)
↓徳川家2代目の将軍となる徳川秀忠が誕生した地で、産湯に使用した井戸の跡を示す石碑が建っている。
[終着]計23ヶ所の史跡

靜岡県といえば富士山、お茶、温泉など、取り上げられる内容は多いが私がご紹介したいものは「B級グルメ」である。
秋田では横手やきそば、神奈川ではシロコロホルモンなどが有名であるが、ここ静岡にも名を連ねるB級グルメ店が多数存在している。
B級と言ってしまうと聞こえが悪いようにも思われるが、A級が高級な食材を使用して調理されているものだとすればB級は、日常的で身近な食材をより美味しく調理されているグルメといったところだろうか。
地元に根付いた「B級グルメ」をいくつかご紹介させていただきたいと思う。

□富士宮やきそば
富士宮やきそば
富士宮やきそばの特徴は、一般的な製法とは異なり、麺を強制的に冷やして油で表面をコーティングしてから調理する。そのためコシが強く食感にも違いが出るという。2000年には「富士宮やきそば学会」を設立し、以来、B-1グランプリを連覇するなど、B級ご当地グルメをリードする存在として常に全国区の注目を集めている。
□静岡おでん
静岡おでん
真っ黒なスープに「黒いハンペン」が入っていることで知られる静岡おでん。地元では「しぞーかおでん」という愛称で親しまれている。大正時代から静岡ではごくごく普通に食べられていたおやつ代わりのようなものだったという。静岡市内だけで600軒もの専門店がある。おでんダネは串に刺してあり、青のりとだし粉をかけるのが基本的なスタイルとのこと。
□袋井宿たまごふわふわ
袋井宿たまごふわふわ
なんとも愛らしいネーミングである。不思議な響きであるが実はこの料理、江戸時代から伝わる伝統的な卵料理で、東海道五十三次・袋井宿の名物であった。200年後の現代、袋井観光協会が町おこしの一環として当時の料理を再現し、新たな食の名物となってB級グルメへと姿を変えて登場した。材料は基本的に卵とだし汁だけとシンプルなものであるが、いかにフワッとした食感に仕上げられるかがポイントとのこと。口の中で溶けてしまう食感は美味である。
□浜松餃子
浜松餃子
浜松市内では戦前から食べられていた大衆的なご当地グルメである。浜松餃子の特徴は、キャベツがたっぷり入り、それでいて肉のコクがあり、いくらでも食べられるヘルシーな口当たりが人気をよんでいる。現在は具材に魚介類などを入れたりして地元の食材を活用している作り手が増えているという。どんな餃子であっても、「茹でたモヤシ」を添えるのが“浜松流”となっている。