【愛知県 清須偏】「清洲城」天下統一を決めた夜



【愛知県 清須偏】「清洲城」天下統一を決めた夜

天下取りの出発地点

天下取りの出発地点 織田信長と聞けば「天下布武」「天下統一」の言葉が頭に浮かんでくる。また、信長ファンであれば外すことのできない名所がここ「清洲城」ではないだろうか。
信長は何故、天下統一を志したのか。史実によれば、戦国の世を終わらせ「泰平の世」を夢見ていたという。
その足がかりとして起きた出来事が1560年の「桶狭間の戦い」である。わずか3千足らずの兵力で2万5千の今川軍に勝利したと言われる伝説的な合戦。桶狭間出陣の本拠を構えていた城が、この【清洲城】である。

那古野城から清洲城へ

信長が那古野城から清洲城へ拠点を移したのは1555年。かつて清洲城は、信長の父である信秀の住まいでもあった。
信長は叔父の織田信光と協力し、それまで清洲城の主でありながら尾張の守護代を務めていた織田広信を殺害して、清洲城を手に入れる。1555年4月の出来事である。
本能寺の変で信長が自害した後は信長の跡継ぎ問題と、領土の分配について家臣が話し合いを行った城でもある。
信長の後継者には信長の長男である信忠に決まった。これは当時、信長の家来であった羽柴秀吉(豊臣秀吉)の推薦によるものだった。この会議を「清洲会議」と言う。また、二男の信雄もこの清洲城で誕生している。

208年目の廃城

208年目の廃城 信長が清洲城を住まいとしていたのは1555〜1563年までの8年間である。その後、次男の信雄が継ぎ、1595年には豊臣秀吉の家来である福島正則の住まいとなった。
1600年、徳川家康の四男・松平忠吉が入城するが、関ヶ原の負傷がもとで病死すると1607年には徳川家康の九男である徳川義直が入城し、清洲藩の本拠地とした。
それから時をしばらくして1609年、徳川家康によって、清須から名古屋への遷府(遷都)命令が出された。

清洲城は名古屋城建築の資材となった

それまで尾張の拠点は清洲であった。言い換えるならば、愛知の中心都市が清洲であったということになる。それを機に1613年、清洲城は廃城となり208年の歴史に幕を閉じるのである。
徳川家康によって遷府(遷都)命令が出されるまでは尾張(愛知)の中心都市は清須であったわけだが、それ故に尾張の拠点となっていた城も清洲城であった。
ちなみに、遷府(遷都)とは、中心都市を他の都市に移すという意味である。清須から名古屋へ遷府されたのが1609年、今の名古屋が中心都市であるのはこの遷府(遷都)命令がきっかけということになる。これが歴史に記されるところの「清洲越し」である。
清須から名古屋へ中心都市が移ると同時に、城の拠点も清洲城から名古屋城へと移った。1610年に名古屋城を造り始めるのだが、城造りの材料として清洲城の一部が使われることとなる。現在、名古屋城の御深井丸エリア西北隅に位置している櫓(やぐら)は、清洲城の天守を転用して作られたことでも有名である。

名古屋城天守閣「清須櫓」

名古屋城天守閣「清須櫓」 櫓(やぐら)とは別名「矢倉(やぐら)」とも言われている。城に隣接した建物で、昔は弓矢に用いる「矢」を収納していた「倉」を示すことから矢倉(櫓)と呼ばれていたという。
名古屋城の櫓を構築する際に、使用された資材が「清洲城の天守」である。名古屋城の御深井丸エリア西北隅の櫓に使用されており、その櫓は【清須櫓(きよすやぐら)】と呼ばれ、国の重要文化財に指定されている貴重な建造物である。

清洲公園と復元された天守閣

1613年に清洲城は廃城となるのだが、城跡がほんのわずかであるが清洲公園内に残されている。信長の像が清洲古城跡公園内の城跡に建っており、清洲城跡を記す顕彰碑(石碑)が設置されている。
また、復元された清洲城のすぐ横には五条川が流れているのだが、川を開拓する際に発掘された石垣の一部も公園内に展示されている。
現在の清洲城は町制100周年を記念して1989年(平成元年)に復元されたもので、1613年に廃城となった清洲城の外観や規模をモデルに造られた三層の模擬天守である。

清洲城4階層建てのミュージアム

1階・・・プロローグゾーン[清須の成り立ちと歴史を知る]
清洲越しの歴史はもちろんのこと、清須市の歴史を振り返るエリアとなっている。

清洲城4階層建てのミュージアム2階・・・清洲城バーチャルウォークゾーン[清須城と城下町の歩み]
中世と現代を比較したジオラマの展示をはじめとして、戦国時代の清須城下町の喧騒や、信長公麾下の武将たちの暮らしなどを知り、清須城と城下町の歩みを体感できるエリアとなっている。

清洲城4階層建てのミュージアム3階・・・偉人伝ゾーン[清須と歴史を共にした先人たちの偉業に触れる]
信長の偉業を中心に、秀吉、家康をはじめ信長に関連する武将たちと清須との関係性を紹介し、「武将たちの歴史・清須」をテーマにした展示エリアである。 体感シアターでは、「乾坤一擲・桶狭間の戦い」が模様されており、映像シアターでは「歴史の扉〜清須会議〜」が開催されている。その他にも「火縄銃」が体験できるコーナーがある。

清洲城4階層建てのミュージアム4階・・・天下一 吉例ゾーン[吉例の地・清須の天主に立ち、浩然の気を養う]
清須の眺望を武将たちと同じような目線で最上階の天守閣から一望できるようになっている。清須の天主は「吉例の地」とも言われ、とても縁起の良い場所とされているようだ。 その他にも、信長が吉例の際に用いた太鼓や、金の鯱(しゃちほこ)、瓦などが展示されており、「清須からくり望遠鏡」も体験することができる。

芸能文化館では、戦国体験、記念撮影コーナーなどが設置されており、キッズコーナーでは清須キャラクター劇場が開催されている。また、甲冑(鎧の一部)、内掛けを試着できる体験コーナーもあり、アミューズメントとして趣向を凝らした作りとなっている。

清洲城
住所:愛知県清須市朝日城屋敷1丁目1
お問合せ先:052-409-7330(観光案内課まで)
営業時間:09:00〜16:15(月曜定休・12月29日〜12月31日)
入城料金:大人 300円・子供 300円(駐車場:無料)

清洲公園■清洲公園
住所:愛知県清須市清洲3丁目7-1
お問合せ先:052-400-2911 (清須市役所 産業課まで)
見どころ:信長の銅像・清洲城跡を示す顕彰碑(石碑)・清洲城の石垣