【愛知県 尾張編】「長久手の戦い」御旗山から小牧城



【愛知県 尾張編】「長久手の戦い」御旗山から小牧城

打倒、秀吉

打倒、秀吉(羽柴秀吉の画像) 人質時代を経て桶狭間の戦いから岡崎城主となり、信長と清須同盟を結んだ家康。
その後は、姉川の戦いや、三方ヶ原において信玄との合戦、長篠の戦いから本能寺の変にて信長の死。家康は次々と戦国の波に吸い込まれていくこととなる。次なる相手は羽柴秀吉(豊臣秀吉)であった。信長の亡き後を志ざし天下人へと名乗りをあげたのである。
これに危機感を募らせた信雄(信長の長男)は父と同盟を結んでいた家康を頼って力を借り、秀吉を牽制(けんせい)したのである。

小牧・長久手の戦い

小牧・長久手の戦い(犬山城の画像) 1584年3月 6日、家康は8千の兵を引き連れ清洲城へと向かい信雄と軍議(会議)を開いた。家康、信雄の兵を合わせて1万5千の連合軍に至った。
しかし13日の夜、秀吉が不穏な動きを見せる。織田方に協力すると思われていた美濃の池田恒興(大垣城主)が秀吉に寝返り犬山城(織田家の領地)を襲撃し奪ったのだ。この瞬間、決戦の幕は開かれた。
家康は小牧山に陣を構えると、17日早朝に酒井忠次、榊原康政ら5,000人の兵が羽黒(犬山市羽黒)を奇襲し、陣を構えていた森長可(信長に仕えた森蘭丸の兄)率いる軍を一掃するのである。羽黒の戦いに勝利した家康は18日に小牧山城を(小牧城)を占拠した。
この知らせを受けた秀吉は3万の軍勢を率いて大坂を出発し犬山城に入る。小牧城を攻撃しようとするも家康の守備(城の修復や砦の構築)に阻まれ手を出せなかったのである。

白山林の戦い

白山林の戦い(羽柴秀次の画像) 1584年4月6日、秀吉は犬山城を出発すると軍を東へと向け前進していた。
4つに別れた部隊は総数3万7千にも及んだという。秀吉は家康の本拠地である岡崎城を目指し出陣していたのである。
この状況を知った家康は小牧山城を出陣すると、まずは小幡城(愛知県守山区)に入る。9日の早朝、秀吉の一陣(先鋒)である池田隊が岩崎城(愛知県日進市)の攻略に手間取っている間に、徳川軍は白山林(愛知県尾張旭市)で三好信吉(後の羽柴秀次)が率いる四軍(大将)に猛攻を仕掛ける。
正面からは水野忠重、丹羽氏次、大須賀康高の軍が攻め、横からは榊原康政が一斉攻撃を開始した。この攻撃に三好軍は敗れ撤退する。信良も戦線を離脱し三陣(副将)である堀秀政のもとへと逃げるのであった。

桧ケ根の戦い

桧ケ根の戦い 堀秀政は三好軍の残兵を三陣に組み込み、追撃してくる徳川軍への反撃に備えていた。桧ケ根(愛知県長久手)で堀軍と戦うも徳川軍は敗退し堀軍に追撃されることとなる。この頃、家康は長久手を一望できる「色金山(愛知県長久手)」に陣を構えていた。
徳川軍を追撃している秀政の目に飛び込んできたのは家康の馬印である「金扇」であった。家康の登場に秀政は戦況が決して有利な立場にあるわけではないことを理解し、御旗山で兵を引き追撃をやめた。
これを知った秀吉方の池田隊(一陣)、森隊(二陣)は、攻略したばかりの岩崎城を出発し御旗山へと急いで向かうのである。家康はそのまま御旗山で陣を張った。

長久手の戦い

長久手の戦い 1584年4月9日、遂に御旗山にて秀吉軍と家康軍の決戦が幕を開けた。「長久手の戦い」である。両軍合わせて1万8千余りの兵が入り乱れての激闘は2時間ほど続いた。(兵力はほぼ互角で9千人ずつ)
戦況は一進一退の攻防が続いていたが、秀吉軍の二陣である森長可が家康側の銃弾に討たれると状況は一変する。一陣の池田恒興が立て直しを図ろうとするも織田方の永井直勝の槍に討たれると、秀吉方の軍は次々と撤退をはじめていく。勝負がつくと家康は小幡城へと軍を引き上げるのであった。
この合戦で秀吉側の死者は2500人、家康側は500人という結果で終わり、家康は大勝利を収めた。

家康と秀吉の和平

家康と秀吉の和平 敗退を知った秀吉は2万の軍勢を引き連れ小牧山城を襲撃するが家康は小幡城にいた。知らせを受けた秀吉は小幡城へと移動を始めるが、このとき家康は小幡城を出て小牧山城へと移り、その後、清洲城へと帰還していた。秀吉もこれに合わせて兵を引き、大坂へと帰還するのであった。
その後もしばらくは秀吉と家康(信雄も含め)との間で小競り合いが続いていた。
数ヵ月後、秀吉は信雄の領地である伊賀、伊勢を攻め圧力をかけると、伊賀、伊勢の一部を譲り受けることを条件に講和(和平)を申し入れた。信雄はこれを承知し11月11日に秀吉と和平を結んだ。
この和平により名分(戦う理由)を無くした家康は、岡崎城へと兵を引き上げ帰還した。その後12月には家康と秀吉の間にも和平が締結され、「小牧、長久手の戦い」に幕を下ろすのであった。

色金山公園 色金山公園
住所:愛知県長久手市岩作色金37-1
お問合せ先:0561-61-3131(管理棟まで)
[見どころ]御旗山で戦う前、ここで陣を張り軍議(会議)を行った。

■御旗山
住所:愛知県愛知郡長久手町長鍬富士浦 41
お問合せ先:0561-63-1111(商工課まで)
[見どころ]合戦前に陣を張った場所である。

長久手古戦場 長久手古戦場
住所:愛知県愛知郡長久手町武蔵塚 204
お問合せ先:0561-63-1111(商工課まで)
[見どころ]「長久手の戦い」において主要となった合戦地である。

■丸根砦
住所:愛知県名古屋市緑区大高町字丸根
お問合せ先:052-621-2111(商工課まで)
[見どころ]桶狭間に出陣する際に佐久間軍と戦った場所である。

名古屋城 名古屋城
住所:愛知県名古屋市中区本丸 1-1
お問合せ先:052-231-1700(事務局まで)
[見どころ]1609年、家康が遷府命令を出し、尾張の中心を「名古屋」と定めた。清須越しに伴い築城したのが「名古屋城」である。

清洲城 清洲城
住所:愛知県清須市朝日城屋敷1-1
お問合せ先:052-409-7330(案内係まで)
[見どころ]信長と清須同盟を交わした舞台であり、長久手の合戦前には信雄と軍議を開いた場所でもある。後に義直(家康の9男)が入城した。

小牧山城(小牧城) 小牧山城(小牧城)
住所:愛知県小牧市堀の内1-1
お問合せ先:0568-72-0712(案内係まで)
[見どころ]長久手の合戦において最初に入城した城である。