【愛知県 三河編】徳川誕生 天下人の産声「岡崎城」



【愛知県 三河編】徳川誕生 天下人の産声「岡崎城」

竹千代の誕生

竹千代の誕生 1542年12月26日、寅の刻(午前四時ごろ)、三河国(現在の愛知県東部)の豪族、松平氏八代当主の松平広忠の嫡男(跡取り)として、岡崎城にて生まれる。母は水野忠政の娘である於大の方で、幼名を竹千代(たけちよ)と名付けた。
竹千代が幼少時代に岡崎城で過ごしたのは僅か5年間である。時は戦国、松平家も乱世の波に巻き込まれていた。

悲劇の始まり

悲劇の始まり 駿河(静岡)では今川家、尾張(愛知)では織田家、甲斐(山梨)では武田家、越後(新潟)では上杉家、相模(神奈川)では北条氏が名を轟かせ群雄割拠の時代であった。お世辞にも松平家はそれに比べると、家柄が豊かな方とは言えなかった。しかし、岡崎城主としての威厳は図り知れないものがあった。
そんな矢先の出来事である。織田信秀(信長の父)が岡崎城を目掛けて大軍で押し寄せてくるという知らせが広忠の耳に入る。そこで広忠は、駿府城(静岡市葵区)の城主である今川義元に救援を求めるのである。

悲運の竹千代

悲運の竹千代 「義元殿、信秀が大軍を率いて岡崎に攻めてまいります。どうかお力添えをお願いしたい」
広忠の要請に対して義元は、
「よかろう、援軍を出してやる。その代わり、お前の息子である竹千代を人質に差し出せ」
なんとも残酷な話である。しかし広忠に迷っている時間は無かった。
「承知した。竹千代を義元殿の元まで送るため、遣いの者をお願いしたい。」
こうして竹千代は今川家に人質として駿府へ旅立つのであった。この時、竹千代の護送役を務めたのが田原城主の戸田宗光である、宗光は今川氏に背くことなく忠誠を誓っていた。
ところが駿府に護送するどころか竹千代を誘拐し、銭千貫文(1億5千万円相当)で織田信秀に売り飛ばしたのである。※松平記では百貫文と記されている。
1547年、竹千代5歳の時であった。

1度目の帰省

1度目の帰省 竹千代を手にした信秀は、岡崎城主であり竹千代の父親でもある広忠を脅迫した。しかし広忠は、脅迫には屈しなかった。言わば見捨てたのである。本心ではなかったであろうが実に残酷な話である。
それを知った義元は1549年、織田信広(信秀の息子)を捕えた。信広を返す代わりに竹千代を信秀から取り戻したのである。こうして織田家から解放された竹千代は岡崎城へ帰還した。
しかし、父である広忠はすでにこの世を去っており、まだ子供である竹千代が跡を継ぐわけにもいかず義元が管理することとなった。要するに早い話が領地として今川家に取られたのである。そして竹千代は義元に囚われ、駿府城での人質生活が始まるのである。

2度目の帰省

2度目の帰省 元康は、義元と信長の戦いに駆り出され出陣することとなる。1560年5月に起きた「桶狭間の戦い」である。元康は丸根砦で佐久間軍を破ると大高城へと向かい織田軍との決戦に備えるのだが、思いもよらぬ知らせが届く。義元の死である。と同時に今川軍は織田軍に負けたという意味でもあった。
元康は大高城を出て一路、岡崎城へと向かった。今川の支配下に置かれていた岡崎城であったが義元の敗北を知った今川軍は撤退に取り掛かっていた。
今川軍が撤退すると、もぬけの殻となった岡崎城は元康のものとなったのである。故郷を離れ13年目にしてようやく岡崎城へと帰還したのであった。
その後は清洲城にて信長と同盟を交わし(清洲同盟)、名も「家康」へと改めるのであった。

3度目の帰省

3度目の帰省 元康は、義元と信長の戦いに駆り出され出陣することとなる。1560年5月に起きた「桶狭間の戦い」である。元康は丸根砦で佐久間軍を破ると大高城へと向かい織田軍との決戦に備えるのだが、思いもよらぬ知らせが届く。義元の死である。と同時に今川軍は織田軍に負けたという意味でもあった。
元康は大高城を出て一路、岡崎城へと向かった。今川の支配下に置かれていた岡崎城であったが義元の敗北を知った今川軍は撤退に取り掛かっていた。
今川軍が撤退すると、もぬけの殻となった岡崎城は元康のものとなったのである。故郷を離れ13年目にしてようやく岡崎城へと帰還したのであった。
その後は清洲城にて信長と同盟を交わし(清洲同盟)、名も「家康」へと改めるのであった。

羽柴という男

羽柴という男 織田信長が本能寺で没すると、代わって天下統一の名乗りを挙げたのが、信長の家臣を務めていた羽柴秀吉(豊臣秀吉)であった。秀吉はその手腕と人望により徐々に勢力を拡大していき、それまで信長に付いていた家臣がどんどん秀吉に取り込まれていく。
これに危機感を抱いたのが信長の次男である織田信雄である。信雄は、かつて信長の同盟者であった家康に協力を求めたのである。秀吉に対する信雄の牽制(けんせい)であった。これがきっかけとなり1584年3月、「小牧、長久手の戦い」が幕を開けることとなる。

岡崎城
住所:愛知県岡崎市康生町561-1
お問合せ先:0564-24-2204(家康館まで)
[見どころ]家康が誕生した場所。3度の帰省を経て城主となる。

龍城神社 龍城神社
住所:愛知県岡崎市康生町561
お問合せ先:0564-21-5517 (案内係まで)
[見どころ]岡崎城主に代々ゆかりのある神社である。

六所神社
住所:愛知県岡崎市明大寺町耳取44
お問合せ先:0564-51-2930 (社務室まで)
[見どころ]家康が生まれたとき、「産土神(うぶすながみ)」として拝礼を受けた場所である。

伊賀八幡宮 伊賀八幡宮
住所:愛知県岡崎市伊賀町東郷中86
お問合せ先:0564-26-2789 (社務室まで)
[見どころ]家康が合戦前に参拝したと言い伝えのある神社。

天恩寺 ■天恩寺
住所:愛知県岡崎市片寄町字山下33
お問合せ先:0564-82-2433(案内係まで)
[見どころ]家康公見返りの大杉が残されている。

■若宮八幡宮
住所:愛知県岡崎市朝日町字森畔12
お問合せ先:0564-23-6216(観光課まで)
[見どころ]信康(家康の跡取り候補)を祀った神社である。信康の首塚がある。

■安祥城
住所:愛知県安城市安城町赤塚1
お問合せ先:0566-76-4097(観光課まで)
[見どころ]織田に人質とされた竹千代(家康)を取り戻すための交換材料となる織田信広(信長の兄)を捕えた場所である。