現存十二城 「名城 八つの天守」(本州編)



現存十二城 「名城 八つの天守」(本州編)

時代を超えて名を刻む「八つの名城」

時代を超えて名を刻む「八つの名城」 天守閣を備え持つ城で現存しているのは12城。その中でも「姫路城」「松本城」「彦根城」「犬山城」は国宝に指定されているが、その他にも時代を超えて今もなお天守閣が現存している八つの城がある。
北は青森から四国愛媛まで歴史的文化財となっている天守閣はどれも見どころ満載で目が離せない。そのどれもが名城と言われるほど立派な造りで、時代と共に足跡を残してきた貴重な歴史の証となっている。
城を語るうえでは是非とも制覇しておきたい八つの名城だ。

津軽統一の証「弘前城」

高岡を弘前に改称したのは1628年と言われている。… 弘前公園内に堂々と天守を構える弘前城。
戦国末期、大浦城、堀越城を拠点として津軽地方を統一した津軽為信は、関ヶ原の戦いによって地盤を固め高岡(現在の弘前市)への移転を計画した矢先にこの世を去った。その遺志を継いだ三男の信牧が1610年に着工し、翌年に完成させている。
城の周囲は西に岩木川、東には土淵川が流れ東西615メートル、南北950メートルで約48万平方メートルの広大な地域に本丸と、7つの曲輪を築き上げた。天守閣、櫓を八つ、城門を12設置するなど大規模な城郭であった。
高岡を弘前に改称したのは1628年と言われている。1627年五層の天守閣に落雷を受け焼失し、しばらくそのままであったが1810年に三層櫓を改築して天守閣とした。これが現在の弘前城に残る天守閣である。
その他に辰巳櫓、未申櫓、丑寅櫓、大手門、南内門、東内門、東門、北門が現存している。本丸、二の丸、三の丸、北の丸の塁濠に関してはほとんど昔のままで、貴重な歴史的足跡となっている。

弘前城[1611年築城]
住所:青森県弘前市大字下白銀町1
お問合せ先:0172-33-8739(公園緑地課まで)

桜400本の霞「丸岡城」

桜400本の霞「丸岡城」 春になると城の周辺に植えられた400本の桜が咲き誇り、城が霞みがかったように見えることから別名を「霞ヶ城」と言う。
越前(福井)の北部に広がる福井平野の東端にある小さな丘に築かれた平山城、丸岡城。城の北東を流れる五味川を引き込んで堀を造り、石垣による天守台とそこに築かれた2重3階の本丸に天守閣が備わった。その北側に二の丸が築かれ、内堀の外を取り巻く形で侍屋敷が建ち並ぶ三の丸が広がっていた。
越前(福島)を拝領した柴田勝家が養子の柴田勝豊に命じ、それまでの縄張りであった豊岡から拠点を移すべく1576年に築城したのが丸岡城である。1582年に勝豊が長浜城主となり近江(滋賀)へ移動すると家臣である安井家清が留守を任された。

その翌年、柴田勝豊が病死すると賤ヶ岳の戦で柴田勝家が敗北 その翌年、柴田勝豊が病死すると賤ヶ岳の戦で柴田勝家が敗北し、豊臣方の支配下となり4万6千石を拝領した青山宗勝が城主となった。
青山宗勝の死後、息子の青山忠元が城主となるが1600年に勃発した関ヶ原の戦いで西軍(石田三成)に付き戦死を遂げた。その1年後、越前国を与えられた結城秀康の家臣である今村盛次が城主となる。
丸岡城の天守は現存する城の中で最も古い天守閣となる。

丸岡城[1576年築城]
住所:福井県坂井市丸岡町霞町1-59
お問合せ先:0776-66-0303(公園事務局まで)

天守、二重櫓が現存する「備中松山城」

天守、二重櫓が現存する「備中松山城」 1240年、秋葉重信が台ヶ城の出城(砦)として大松山に築城したのが起源とされる。それに連なる城郭は大松山、天神、相畑、小松山、前山の五つの峰から形成された臥牛山(がぎゅうざん)に築かれた。
戦国期に入ると三村家(三村家親、元親)がこの城を拠点に発展した。
その後、毛利氏に攻められ(備中兵乱)落城すると、1600年に起きた関ヶ原の合戦以降6年後に大改修をし、1617年には6万5千石を拝領した池田長幸が城主となる。これにより備中松山藩が誕生する。

江戸時代には小松山山頂を本丸とし、山上に二の丸 江戸時代には小松山山頂を本丸とし、山上に二の丸、三の丸を構え、山麓に御根古屋という藩主の居館、役所が設置されていた。天守閣のほかに本丸二層櫓、三の平櫓、土塀、石垣が現存している。

備中松山城[1580年前後築城]
住所:岡山県高梁市内山下1
お問合せ先:0866-22-1487(管理事務局まで)

天守からの景観に酔いしれる「松江城」

天守からの景観に酔いしれる「松江城」 松江市殿町(とのまち)にあり、別名「千鳥城」である。
関ヶ原の戦いの功績により堀尾吉晴は、出雲、隠岐の24万石を拝領し富田城に入ったが、政治、軍事の利点から、国の中央部で交通の便もよい松江の地を新しい拠点として選んだ。
1607年に着工し、4年後に松江城は完成した。宍道湖の水を引いて堀を築き、亀田山に併設した平山城である。亀田山山頂を本丸とし、その南に二の丸、さらに堀を隔てて南に三の丸を設け居館とした。
堀尾氏三代、京極氏一代を経て、1638年からは松平直政が城主となり幕末に至った。
五層六階の天守閣は黒の下見板張りで、望楼式の古い様式を留めたままとなっている。

松江城[1611年築城]
松江城[1611年築城]
住所:島根県松江市殿町1-5
お問合せ先:0852-21-4030(管理事務所まで)