【名古屋偏】「名古屋城」大バカ者と呼ばれた武将〜



【名古屋偏】「名古屋城」大バカ者と呼ばれた武将〜

信長誕生の地「那古屋城」

信長誕生の地「那古屋城」 愛知県と言えば「名古屋城」をイメージする方も多いことだろう。しかし、名古屋にはもうひとつ「那古野城」が存在する。
名古屋城で信長が誕生したと思われている方もいるようだが、正確には「那古野城」で生まれたという説のほうが正しい。
現在では那古野城そのものを観ることは出来ないが、名古屋城の敷地内にある「二の丸 茶亭前」に那古野城の跡地を記した石碑が建てられている。
今の名古屋城は信長が産まれた那古屋城とは異なり、徳川家康によって那古野城の跡地に建てられた城である。
一見、間違われやすいのだが、「信長が生まれた城が那古野城」、「那古野城の跡地に建てられた城が家康の名古屋城」と覚えておくと分かりやすくなるだろう。

うつけ者

信長は1534年、那古野城で誕生した。幼名を吉法師と言い、小さな事にこだわらず大らかで勇気のある子だったという。その行動や立ち振舞いは大胆で、大名の子にふさわしくない言動が目立つことから「うつけ者」(バカ者)と呼ばれていた。
それからしばらくして信長が15歳の時、美濃(現在の岐阜県)の斎藤道三の娘、濃姫と結婚することとなる。

熱田神宮「信長塀」

熱田神宮「信長塀」 1560年、桶狭間出陣の道中、信長は熱田神宮に立ち寄り勝利を祈願したという。
桶狭間の戦いにおいて、今川義元の率いる2万5千の大軍に織田軍はわずか3千の兵力で挑み、見事勝利を収めるのである。この戦いに勝利したことが天下統一のきっかけを作ったとも言われている。
戦勝祈願のお礼として熱田神宮に奉納されたのが「信長塀」である。信長塀は、土と石灰を油で練り固めて瓦を厚く積み重ねたもので、日本三大土塀の一つとしても有名な塀である。
「日本三大土塀」、あまり聞きなれない言葉だが、信長塀の他には、「兵庫西宮神社の大練塀」、「京都三十三間堂の太閤塀」の二つが存在している。
熱田神宮内に塀を示す案内板が設置されているのだがあまり目立たないため、このことを知っている地元民は数少ない。
信長塀は熱田神宮(本宮)の手前両側にあり、その右側に案内板が立っている。

桶狭間の戦い 豊明市・有松、2つの古戦場

桶狭間の戦い 豊明市・有松、2つの古戦場 桶狭間古戦場には今川義元の墓と伝えられている塚や、石碑などが現在も残っている。愛知県豊明市が桶狭間の古戦場として有名だが、名古屋市緑区有松にも桶狭間古戦場が存在している。2つとも合戦地として関係していたことは間違いないのだが、どちらも歴史の足跡を記すための貴重な文化財であることは言うまでもない。
また、桶狭間合戦地周辺にも様々な史跡があり、名古屋市緑区の大高には公園内に大高城跡が残されている。大高城は家康が兵糧入れを行った城として有名である。
その他にも、大高城を攻めるために信長が築いたとされる「丸根砦」と「鷲津砦」も大高駅の近くにあり、現在では砦跡を示す石碑が残っているのみではあるが、信長にゆかりの深い場所となっている。名古屋市緑区有松には今川義元と縁の深い「長福寺」もがひっそりと佇んでいた。

名古屋城
住所:愛知県名古屋市中区本丸1−1
お問合せ先:052-231-1700 総合事務所まで

■那古野城跡地
住所:愛知県名古屋市中区本丸1−1(名古屋城内 二の丸 茶亭前)
お問合せ先:052-231-1700 総合事務所まで

熱田神宮「信長塀」 ■熱田神宮「信長塀
住所:名古屋市熱田区神宮1丁目1-1(熱田神宮内 本宮前)
お問合せ先:052-671-0852 熱田神宮文化殿係まで

桶狭間古戦場伝説地
住所:愛知県豊明市栄町南舘11
お問合せ先:0562-92-8313
・[はざま公園]住所:愛知県豊明市新栄町6丁目220
・[戦人塚]住所:愛知県豊明市前後町仙人塚
・[高徳院]住所:愛知県豊明市栄町南舘3丁目2

桶狭間古戦場公園
住所:愛知県名古屋市緑区有松町桶狭間北3丁目
お問合せ先:052-621-7762 桶狭間古戦場保存会ガイド部まで
・[長福寺]住所:愛知県名古屋市緑区有松町桶狭間字寺前14

名古屋市内で巡る、織田家ゆかりの地

名古屋市内で巡る、織田家ゆかりの地 この他にも名古屋市内には織田信長にゆかりの深い場所が多く存在する。
寺院、史跡など、いくつかまとめておいたものを紹介させていただくとしよう。

・[末森城]住所:名古屋市千種区城山町2丁目
信長の父・信秀が建てた城。信秀はこの城で死去したと言われており、その後は城主が不在となったため廃城となった。
現在は「城山八幡宮」が建っており、小高い丘と空堀の跡が一部残っているだけである。

・[桃巌寺]住所:名古屋市千種区四谷通2丁目16
信長の弟である信行が、父信秀を弔うために建てた寺である。
大きな木魚、眠り弁天、不気味な大仏、不思議な模様の山門など、少し変わった雰囲気が漂う寺院である。

・[政秀寺]住所:愛知県名古屋市中区栄3丁目34-23
信長の家来であった平出政秀を弔うために信長が建てた寺である。政秀は信長の奇行(わがままな行動)を直して欲しく、諭すために自ら命を絶ったと言われている。
残念ながら敷地内に入ることが出来ず非公開となっているが若かりし信長に縁の深い場所である。

・[古渡城]住所:愛知県名古屋市中区橘2丁目
古渡城は、父信秀の居城で信長はここで元服した(儀式を行った)と言われている。
現在は公園になっており、堀などが一部再現されているだけである。近くには、東別院や名古屋テレビ塔が建っている。

万松寺で見つけた「うつけ者伝説」

万松寺で見つけた「うつけ者伝説」 信長のうつけ者伝説がここ万松寺にもあった。
万松寺は父、信秀の葬儀が行われた寺である。信長が葬儀の最中、父信秀の位牌に向けて抹香を投げ付けたというエピソードがこの寺には残っている。信長のこの行動に、周りにいた列席者は目を丸くして驚いた。参列していた家臣は口を揃えて「やはり尾張の大うつけだな」と呟いていたという。
万松寺は老若男女で賑わう大須商店街の中に位置し、その近くには信長のからくり時計が時を刻んでいる。

万松寺
住所:愛知県名古屋市中区大須3丁目29-12
お問合せ先:052-262-0735(案内係まで)